11日
14時●●分 東京駅にて地震に遭遇
15時 千代田線に乗ろうと大手町まで歩くが、ビルを見上げる人
ヘルメット着用で帰宅するサラリーマン ミシミシ音を立てるビルにビックリ!
15時30分 地下鉄がストップしており、六本木で開催中の「シュールレアリズム展」に行くのはあきらめ、実家に向かうことを決意。横浜方面に向かって歩き出す。
15時45分 銀座通りで壁面が落下したビルを見て、地震を実感。
通りにある公衆電話BOXで実家にTEL
16時00分 新橋駅近くのモスバーガーで腹ごしらえ。隣の席のおばさんと情報交換。
17時30分 駅の群衆に唖然とする。携帯電話が通じずイライラ。
ウイルコムの社員が無料で携帯の貸し出しを実施しているのを見つけ、再度実家にTEL。
18時 居場所がなく、外は寒く、危機感が高まる。
18時10分 新橋駅の「びゅうプラザ」の待合室で空いている椅子を見つけ座る。
カウンターでホテルを予約する人々を見て、「ホテルもいいかな??」と悩む
●柏崎沖地震の折に宿泊していた新潟のホテルは、老朽化していて怖かった。
●その前年の宮城県の地震の折に宿泊していた仙台のホテルは、地震発生直後にエレベーターが止まり階段の上り下りが辛かった。
ぐずぐずしている間に新橋周辺のホテルは満室に・・・
18時30分 「JRは終日運休」のアナウンスが入る
そこいら辺りに座っているおじさん・おばさんに声を掛け合い、コンビニに買い出しに行くことにする。
がーん!既に時遅し。おにぎり・パンは皆無。
「お駄賃だ!」と、酔っ払いのおじいさんが千円くれる。
19時 新橋駅の「びゅうプラザ」閉店時間になる。
暖房がきいて座っていられるここから追い出されたら、どーしよー?
(ホームレスの気持を実感)
20時 「避難所に行きたい人はいませんか?」と呼びかけが始める。
「何分くらいかかるんですか?」と確認し、避難を決める。
20時10分 港区の避難所(昔の中学校?)3階の教室に到着。
毛布・乾パン・水(500cc)が配給される。
何度となく余震がきて、船に乗っている気分。
床に毛布をひいて、マジでホームレス状態。
こんな中でもイビキをかいて寝ているオジサンがいる。
(あんたはえらい!見習わなくては・・・でも無理)
結局一晩避難所で一睡もできないまま夜を明かす。
12日
午前7時 JRが動くらしいとのことで避難所を後にする
9時30分 待てど動かないJRに見切りをつけ、銀座線で渋谷に行き、東急で帰宅。
13日20時 仙台に足止めされていた弟は、タクシーとバスを乗り継ぎ新潟から上越新幹線で東京に戻る。
避難所ではラジオのみで、実態が把握できませんでした。
実家のTVで生の映像を見て、愕然・・・
余震におびえる毎日ですが、なんとか明るい日本に戻って欲しいと祈るしかありません。
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